原稿が乗らないので、ちょろっと更新。
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偶然目にした小説家の町田康氏のこのインタビューが興味深かった。
町田康 初の自伝を語る「人間が根底から救われることはまずあり得ない」売り切れ続出『私の文学史』の裏側とは|Real Sound|リアルサウンド ブック
雑誌のインタビューについての「なんか白々しいじゃないですか」という言葉に、取材記事が中心のライターとしてヒヤッとさせられたりもしたけれども、それ以上に今の私の気分にビビットに触れてきたのが、2ページ目のこのあたり。
町田:INUの場合は、まず語彙が違っていました。音楽ファンの人達とは違う語彙だった。もう一つは発想と言いますかね。無知蒙昧でしたからね。そもそもロックってこういうもんだよねとか、パンクってこういうもんだよねとか。みんなまず文脈を考えてそのなかでやるから、言葉も自ずと文脈から外れるものにはならないんですよ。
簡単に言うと美意識って言っちゃってもいいんですよ。そういう美意識ってどうなんかな? もしかしてめちゃくちゃ格好悪いとちゃうんかなと直感が働く。いわゆるロックっぽいもの、だからお手本通りしなきゃでしょっていうような、一定の範疇にあることは格好悪いんじゃないかなっていう。
この「美意識」の問題って、音楽に限らない。アニメでもやはりある種の「美意識」に則った表現というものはある。私にはそうした様式美を求めてしまうところと、一方で、その様式美に対して物足りなさを感じてしまう気持ちが、両方ある。
「ベタなテンプレ(笑)」という気持ちと、「こういうのでいいんだよ」の狭間でゆらぎ続けているといいますか。どっちに気持ちが寄るかは、時と場合というか、作品によりけりで。
あらゆる「美意識」から距離を取りたくなったとしたら、それはもう、エンターテインメントを楽しめる人ではなくなってしまったということなのでしょう。
そして難しいなと思うのが、この「美意識」というのは、いわゆる「ステレオタイプ」とも結びつくこと。つまり、ある種の「美意識」によってなされた表現が、差別や偏見を内に秘めていることがままありもする。そのあたりまで意識を飛ばすと、ますますこの「美意識」との付き合い方は難しいものよ。
そんなことを、インタビューを読みながらあらためて考えてしまったわけでした。
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オチは特にないです。
……そ、そういう定型的な構成を求める「美意識」に抗いたいんだなぁ、私は。